くらすかたち あたらしいと、なつかしいがつながる暮らし

ガラス作家 境田亜希さんに会いに ~社会人を経てわたしがガラス作家を目指したきっかけ

作り手
2020.02.18
秋田のガラス作家 境田亜希さん

秋田市新屋ガラス工房にて

「アクロバティックなガラス制作は、手先が不器用なわたしに向いていると思ったから」

ガラス作家になるきっかけをそう語るのは、秋田県で主に日常で使えるガラス作品を制作する境田亜希さん。

 

境田さんは1982年生まれで秋田市出身。社会人として働きはじめるも「新たな挑戦をしなければ!」という衝動にかられ、3年間の会社勤務ののちに秋田美術工芸短期大学(現在の秋田美術大学)に入学しました。

在学中にガラスを生涯の友にすることを決意。卒業後はガラス工芸が盛んな富山県で経験を積み、結婚、出産を機に秋田へ戻りました。ご主人の熊谷峻さん(@shunkumagai_glass)もガラス作家です。

現在は1児の母として奮闘しつつ、日常で使えるガラス作品を中心に制作活動を行っています。

熊谷俊・境田亜希 工房兼ギャラリー

熊谷俊・境田亜希 工房兼ギャラリー(秋田市)

2019年6月、秋田市内の工房兼自宅にうかがいました。カエデが生い茂るお庭に広い玄関と昔なつかしい日本らしい佇まいの建物は、境田さんの祖父母が住んでいらしたお宅だそうです。

ご自宅をリノベーションしはじめてガラス制作のための工房とギャラリースペースができつつある、そんな楽しみなタイミングでの訪問となりました。

境田亜希のはなかげ花器とコデマリ

チャイムを鳴らして玄関に入ると、まず目に飛び込んできたのは玄関正面を飾る境田さんが作った花器とコデマリの花。

大きいサイズの花器って花束みたいにたくさんお花を生けないと・・・と、身構えてしまいがちですが、ひと枝のコデマリが境田さんの花器を引き立てていました。

それに一緒に飾られている茶器や敷いてある絨毯がなんともうまい具合にマッチしています。

ガラス制作をはじめたきっかけ

こちらの工房とギャラリーはご主人の熊谷さんと共同で使っていて、インタビュー中には近くで作業をする熊谷さんもたびたび口をはさんでくださいました。笑

そんな和やかな雰囲気のなか、日常で使えるものの制作にこだわる境田さんにまずはガラス制作をはじめたきっかけを聞いてみると意外な答えがかえってきました。

秋田のガラス作家 境田亜希さん

秋田市新屋ガラス工房にて

境田
「なんとなく・・・だったんですよね。ものづくりのなかでガラスって唯一スポーツみたいな感じだったんですよ。美術大学に入ったときに3種類のものづくりを選ばなければならなかったんですが、陶芸と鋳金とガラスを選んだんです。制作のときって、ガラスは熱いし触れないし、常に動いていてアクロバティックじゃないですか。陶芸はゆっくり座りながらやるし、鋳金はアクロバティックな場面もありますがそこに至るまでの工程が長い。だから陶芸と鋳金は自分には向いていないかなと思ったんですよね。」

シンタニ
「その3つのなかからガラスが一番向いてる!と直感したんですね。」

境田
「向いていたかどうかはいまでもわからないんですが、一番楽しくできたんですよ。わたしが社会人を経て学生として大学に入学したとき、峻さん(ご主人)はすでに助手として働いていて。わたしすっごく不器用で。人に笑われながらつくっていて。(熊谷峻さんに向いて)ね?わたし不器用だよね?」

熊谷
「そうだね。笑」

シンタニ
「ご主人がすごく同意をしていらっしゃいますが(笑)。どういう意味の「不器用」ですか?」

境田
「細かい手作業とかが苦手で。サイズ感もあまりよく分からなかったり・・・。だけどガラスは重力と遠心力を利用してつくるので自分は少し支えるだけという気持ち。吹くのは自分だけど、それをきっかけにガラスが伸びていくのは加わった力が作用しているわけだし。だからわたしみたいに不器用でもできるかなって。」

シンタニ
「そういう見方もあるんですね。でも細かい作業は苦手な分野だったのに何かつくろう!と思ったんですね。苦手なことにあえて挑戦していくタイプですか?」

境田
「いやー、なんでですかね。笑」

秋田のガラス作家 境田亜希さん

秋田市新屋ガラス工房にて

自分を不器用という境田さん

人生何がきっかけでどんな世界に飛び込んでいくかわからないものですね。

「自分は少し支えるだけ」あくまでも自然体で、ガラスに意思はないけれど、あたかもガラスの気持ちを引き出すような、そんなガラス制作に対する姿勢が素敵だなと感じます。

境田さんの自然体でいようという気持ちのせいでしょうか、ガラス制作のことのみならず境田亜希さんという人ともっと知り合っていければうれしいな、という思いがふくらみます。

秋田のガラス作家 境田亜希さん

秋田市新屋ガラス工房にて

お会いするたびにいきいきと仕事されているなぁと感じますが、ガラス制作をされる前の社会人時代のことを聞いてみました。

シンタニ
「大学に入り直したのは何歳のときですか?」

境田
「社会人を3年やってからなので26歳くらいですかね。文章を書く仕事だったんですけどぜんぜん向いてなかった。」

シンタニ
「社会人としてまず仕事をやってみて、初めて「自分にはこれじゃない」という気持ちを発見したんでしょうか。」

境田
「その仕事をずっと続けていくとは思えなかったし、このままの人生ではないなぁって。小さいときから美術大学で学ぶことやものづくりという職業に憧れはあったんですけど、「わたしなんて才能ないからいいや、やめておこう」っていう感じで受験もせず、それがずっと心のなかに引っかかっていて。人生を書き換えるじゃないけど「いまからやり直そう!」って、挑戦しようって。」

シンタニ
「作り手の方って最初から作り手になる道すじをたどっているイメージがあります。例えば、絵画教室でデッサンを習い、美大を卒業して作り手へというような感じで。でも、境田さんのようにいちど社会人を経験されてそれから美大の学生になって作り手の道へと、実際に行動に移せることに憧れる人はたくさんいると思うんですよね。」

境田
「タイミングがよかったというのはあると思います。不思議ですよね。ふつうに入学した学生とは7年違ったのでけっこう必死で・・・。結果を残さないといけないプレッシャーはあるのに、それまで美術なんてやったこともないしデッサンもできないしわからないことだらけで。でも、入学したからには”何か”にならなければいけないととにかく必死でした。」

シンタニ
「わたしなんて・・・って思ってしまうタイプなのに行動に移したところが素晴らしいですね。いちど社会人になるとその立場を捨ててもいいのかって悩みますしね。」

境田
「しかも経験のない分野に飛び込むというのは、振り返るとすごいことをしましたよね。」

わたしも同じくらいの歳のとき似たようなことを考えていました。

そのときの職場にこのまま自分はいつづけるのだろうかと考えると、一生ではないというのは気持ちのうえでは決まっているんだけど、じゃあ自分には何があるんだろうっていうのがわからなくて・・・。

いま思えば、自分が一生続けられる、生きがいとしての仕事って何だろうという”もがき”だったと思うんです。

秋田のガラス作家 境田亜希さん

自宅工房兼ギャラリーにて

人によって、生活や人生における「仕事」の位置づけってさまざまだと思うんですが、わたしの場合は生きているあいだ、仕事で自分自身が「これはがんばった」って思える何かができたらな・・・という気持ちがありました。

大げさかもしれませんが、自分が何が好きなのか、何をしたいのか、それをひとつでも見つけられただけでその後の生き方が彩りのある意味のあるものになるんじゃないかと思うんです。

そういう意味で、仕事としてガラス制作を一生の生業にしようと決意できた境田さんは、わたしにとってはまぶしい存在で憧れますね。

(つづく)

伝え手 Knots シンタニ

 

境田 亜希

3年間の会社勤務の後、秋田美術工芸短期大学(現在の秋田美術大学)に入学し、ガラスを専攻。卒業後は富山県で経験を積み、現在は秋田市の自宅を改築して設けた工房兼ギャラリーと新屋ガラス工房で制作活動を行う

@akisakaida – Instagram